1948年 東京浅草向柳原に生まれる。
1967年 ニュージャズ、テナーサックス、後にお経を学び即興演奏、日本文化を根底とし
た新たな前衛音楽を模索。
1970年 前衛音楽グループ「タージ・マハル旅行団」を7人で結成。
1971年 1年近くにわたってヨーロッパ各地を演奏旅行。タージ・マハル旅行団の活動の場を通して、宇宙観を深め、新たな作品、即興ボーカル「阿」、パフォーマンス「葦、「木」、「竹」、「枯れ葉」、「影を引っ張る」「石を打つ」「石を引っ張る」などの作品を創造。
1972年 1972年、草月開館で帰国コンサート(CBS/SONYより7月15日レコードリリース)。11月、新潟県十日町市大池へ移住。
1973年 1973タージ・マハル旅行団コンサート「Ooike Suganuma Snow Concert 」。
1974年 1974年8月コロンビアより2枚組レコード「Taj Mahal Travellers August 1974」がリリースされる。雪の森の中で(多いときは)6メートルを超える」、自然・宇宙と一体化したパフォーマンスをより深める。
2度訪れたアフガニスタンで、300年前の楽器ルバーブを手に入れ、日本語によ
る「ルバイヤート」「源氏物語」を作品にする。自給自足的な生活をしながら、
音楽や絵の創作活動を続ける一方、都会の子供たちのために森の中でフリースク
ールを開く。
自主出版「宇宙感応」「パッチュラ君と星の仙人」「宇宙の森の物語り」
1980年 映画「菅沼の四季」の音楽制作。
1981年 十日町市大池を中心とする開発計画に対し反対運動を展開し、自然をできるだけ
手をつけない形による「宇宙観を基本とする社会教育」の新たな開発代替案を提
言。その後市の協力により、廃校となった大池小学校の校舎と教員住宅を中心と
するミティラー美術館を1982年5月設立。
1982年以後 ミティラー民俗画のコレクションの他、インド先住民族の文化、ワルリー画、
テラコッタ、ドクラなど先住民アートのコレクションと研究を充実。以来100
人を超えるインドのフォークアーティストを招聘し、民俗(族)芸術の新たな創
造の場とする。日本全国で国際交流としての美術移動展を積極的に展開。
1982年 作品「宇宙ゴマ」「ダーレ」
1984年 作品「青い宇宙の海原」
1985年 インド文化だけでなく、「南中国広西少数民族くらし展」を地方から文化をとい
うメッセージのもとに、5年間の交渉期間を経て、中国との民間交流としては最
大規模の展覧会を地方発によって全国15市町村での開催を実現。
1988年 日印国家催事『’88インド祭』事務局長補佐の活動。著書「宇宙の森へようこ
そ」(地湧社)出版される。
1989年 ポストインド祭を考える会(代表)事務局として、地方における国際交流の発信
基地としての活動を展開。
1992年 日印国交樹立40周年記念委員会委員(外務省南西アジア課主管)、東京ナマステ・インディア委員(主催:日印経済委員会、他)などNPOとして国際交流に参画。
1997年 南太平洋アート展及びマオリ舞踊公演の全国展開、その後パプアニューギニア、
アボリジニの音楽・舞踊公演。1997年、エンジニアリング・トレード・フェア
ー(ニューデリー)に地元十日町市より全校児童9名の神楽公演とインドの学童
との国際文化交流を実現、等の活動。
1998年 平成10年度「国際交流基金地域交流振興賞」を受賞している。
1998年 日印国交樹立50周年記念事業を盛り上げる会を組織し、その事務局および代表
となる。その後ポストインド祭を考える会は、NPOとして認可(2002年)された
日印国交樹立50周年記念事業を盛り上げる会に引き継がれる。
2000年 ミティラー美術館コレクション3本のビデオの音楽制作。
2003年 日本最大のインドフェスティバル「ナマステ・インディア」の事務局となり、代々
木公園で開催。ナマステ・インディアは2008年には14万人の来場。
2005年 NPO法人日印交流を盛り上げる会に名称を改め、毎年インドより音楽・舞踊グル
ープを招聘し、全国、地方の国際交流活動に努めている。
2007年 日印両国間で行われた「日印交流年事業」において、日本における「The Festival
of India(インド祭)」展開に、インド大使館の依頼を受け、日本全国35都道
府県、北は利尻町から南は与那国町に至る60余の市町村で、162の事業の大半
に協力・共催し、インド政府より「日印交流年賞」を授与される。
2008年 日印交流年の成功を受け、インド大使館共催「Indian Cultural Exchange 2008」
(08日印文化交流)を全国展開。
12月、30年振りに音楽演奏活動を再開。
1982年ミティラー美術館開館以来2008年まで、ミティラー美術館館長の活動の他、国際交流としてポストインド祭を考える会代表、NPO法人日印交流を盛り上げる会代表、ナマステ・インディア実行委員長、他インド大使館が日本国内で行う国家催事等、多忙な生活の中、インドの様々な芸術家との深い交流、(インドから招聘およびインド政府ICCR派遣グループは、北東インド、アルナーチャルプラデーシュ、マニプール、ミゾラム、トリプラなどの他、ヒマーチャルプラデーシュ、グジャラート、ラージャスターンなど。舞踊グループはインド7大古典舞踊(カタック、バラタ・ナーティヤム・クチプディ、モニヒアッタム、オリッシー、カタカリ、マニプリ)、インド古典音楽、ドゥルパッド声楽、ルードラヴィーナ、ヴィーナ、バンスリ、シャーナイ、サントゥール、エスラージ、フォークグループ(バウル、セライケラ、プルリアチョウ、ペーナ)、他にクディヤッタム、テイヤム、武術カラリパヤット、タンタなど、多数の民族芸術家の多くはミティラー美術館に滞在し、1週間から3ヶ月にわたって日本全国で公演。)南中国少数民族、マオリ族、パプアニューギニアのクォマ族、奥地に住むアボリジニ、インド先住民族のアーティストとの交流。また、北は利尻から沖縄の与那国に至るまで日本全国に残る文化との触れあいは、新たな創造のための糧となる。